・山田焼(明和年間・1764〜1771から現代まで)

山田焼は現在の高山市山田町にあり、江戸中期から現在まで、飛騨で一番永く続く窯です。創業当時から、すり鉢、かめ、徳利などの雑器を焼いていました。

土は近郊の田土を用いています。

殖産振興のためでありましょう、郡代・豊田藤之進、小野朝右衛門の力添えもあり、栄えました。
山田焼の土作り 片口鉢
一時期は郡代の違いにより政治方針の転換等で衰退した時期もありましたが、明治中期から大正以降復活し、時代の要求に応じてレンガ、土管、瓦なども焼くようになり、再び飛騨の需要を満たすようになりました。

最盛期には9軒の窯元がありましたが交通の発達、生活様式の変化などにより昭和に入り減ってゆき、現在は小林陶舎(小林鳳山)1軒となっています。
葡萄絵徳利 青首徳利
飛騨のやきもの年表

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