茅葺き民家の背の高い構造は、
養蚕のために生まれたものでした。
山がちな飛騨地方は、耕地面積が少なく積雪が多い地域のため、農業以外のさまざまな生業に日々の糧の多くを依存するところが大きかったようです。その中でも換金作物として重要な養蚕、カイコの飼育は江戸時代から盛んに行われました。
大家族制で知られる白川郷では働き手が豊富にあり、この過剰なまでの労働力が養蚕にあてられました。合掌造や入母屋造りにみられる屋根裏の広い空間は、養蚕の作業場として最大限に利用するため生み出されたものとされており、当時いかに養蚕が重要な生業であったかをうかがい知ることができます。高い屋根裏を2階、3階と区切って設けられた作業場は、養蚕に適した湿度に自然に調整されるという効果も持ち合わせています。
以上のような好条件から、飛騨地方、なかでも白川郷など北部の豪雪地帯において養蚕が著しく発達しました。そして、こうした背景から当地方特有の養蚕用具が生み出されました。 |
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現在、旧西岡家2階の広い空間には、当時の養蚕用具を展示してかつての面影を伝えています。養蚕について詳しくは「昔の生業と生活/養蚕」をご覧ください。 |
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養蚕用具を展示している2階 |
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お寺の住職が暮らした旧西岡家。
ユニークな合掌造りとしても知られています。
旧西岡家住宅は蓮受寺の庫裏として建てられました。旧所在地の加須良(かずら)は、白川村でもっとも北の集落で、峠をひとつ越えると富山県五箇山の上平村になります。構造はカタギ造りと呼ばれる形態で、富山県境と飛騨市宮川町や河合町など豪雪地帯に多く見られます。チョウナ梁を用いているのが大きな特徴です。 |
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チョウナ梁とは、急斜面に育ったため、幹の根本が大きく曲がった樹木をそのまま家屋の梁に利用するものです。この自然そのままの建材により建物の構造を強固にし、部屋を広く使うことができました。チョウナ梁の有効性を熟知した先人たちの知恵には目を見張ります。
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多くの合掌造りと同じく、ここでも2階以上の広大な空間では主に養蚕が営まれ、家族は1階で生活していました。しかし他とは違う、お寺の庫裏らしい特徴も随所に見られます。 |
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各部屋の板戸などには漆を塗られました。西面の下屋の外壁は白塗りの土壁で、その下の板壁にはベンガラが塗られ、赤黒い色をしています。また、この家には、他の民家とは違って仏壇がありません。なぜって、お寺の本堂に行けばよかったからです。 |
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また、マヤ(厩)の奥に張り出した下屋にはベンジャ(便所)があります。石で囲った肥溜の上に板を3枚わたした簡単なつくりです。板をまたいで垂れ下がっている縄につかまってふんばり、同時に2・3人が用をたせるようになっています。肥溜にたまった糞尿は肥料として用いられました。 |